Results matching “問答” from 羽田直樹:健康と幸せと幸運と裕福をお届けします。ありがとうございます。

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2009-01-04

なおき:あけまして、おめでとうございます。いままで、ずっとありがとうございます。今年もよろしくお願いします。

ガタル:一年の計はできたのかね?

なおき:引越ししてから使っていなかったので、ドリームボードを作ろうと思ったのですが、特に欲しいものもないんですよ。強いて言えば、庭で孔雀を放し飼いに出来る環境に住もうというぐらいです。

あとは次に働く会社の目標ぐらいです。しょうがないので、避けたいものリストと一緒に書き出したら、確かに好みのリストはできました。

不確定な要素が多い時だからこそ、こういうのが大切にも思います。バイクで峠道に通っていたときのように、ブラインド・コーナーを攻めていたようなもので、見えないことを楽しんでもいます。

ガタル:それもよかろう。変な期待を持たないことで、より楽しめるであろう。

ただ、楽しんでいても、選んでいるのは、自分だと覚えておくのがよかろう。

意志というものが現実も未来を作る。手放しで楽しむというのは、少し違うかもしれぬのでな。

なおき:そうでしょうね。子供もいると、少しでもいい方向にと思います。普通は、親は先にいなくなりますから。

ガタル:改善はしているであろう。もともと居心地がよくないように思えるものは、改善への過程ともいえよう。きっかけを待っているだけの場合もあるし、持ちこたえている場合もあろう。

学習や体験と言ってもよいが、ひとつのプロセスである。意識が変わるものがいれば、その周りの意識変化も加速される。

良き意志をもっていれば、それは改善となろう。

意識変化をさらに加速してみたければ、ちょっとした遊びをしてみるのもよかろう。

まず、自分の目の前にあるものを手にとってじっくり観察してみる。

次に、それが存在しなかったものと考えてみる。

そのギャップにあるものが、物体の有無ではなく、意志の有無と考えてみることである。

その意志はどのようなものであり、誰のものであり、どのようなものかを、感じてみることである。

そして、それを受け入れてみる。

そして、その物体が存在することを再確認する。

それは物でもいいし、人でもいいし、現象でも、環境でもよい。また、自分自身でもよい。

簡単な有る無しゲームで、意志のトレースができるようになろう。

なおき:受け入れたくないようなものでしたら、どうします?

ガタル:反発しても、頑固になるだけである。1つには受け入れること。

そして、それが別の形であることが望ましければ、本来の姿に戻すように自分の意志を加えてみることである。

それを改善された姿とするのであれば、現在の姿とのギャップにあるものを考えてみることである。

それは意志だけでなく、行動として埋めるべきものである。

なおき:そうですよね。思いだけでなくて、やっぱり行動も必要ですよね。

まぁ、ちょっと分かりませんが、いろいろ試してみます。ありがとうございます。

-Naoki


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2009-12-21

なおき:いつも、ありがとうございます。もう、年末ですね。アメリカですと、11月からホリデー気分で、クリスマスでリセットして、年始からスタートが早いです。日本人的にはもう少しゆっくりしたいところですけど。

週末はJeanetteの使っているコンピュータが壊れたようで、その復旧に結局2日かかってしまいました。今回は運良くほとんどのデータを残すことができてよかったです。ただ、データなんてはかないものだと思います。

それを言えれば、お家などもはかないものでしょうね。カリフォルニアですと税金で45%ほどかかりますし、その残り年収の半分ほどをローンで払っている人も少なからずいると思います。

結局、自分のことで一生懸命になりすぎると、他の人へのケアが減りますし、どうしたものかと思います。

ベルガ:そんなものでしょう。時には何が大切なのか、よく考えてみることでしょう。思い出すと言うほうがいいかもしれません。

リセットになるイベントはそのために起こるのです。継続的な新陳代謝で対応できるのが望ましくもありますが、バランスが取れなくなったときには一度リセットするほうが、効率的でしょう。

なおき:そうですね。レイオフも、パソコンが壊れるのも、死ぬのもリセットなのでしょう。それで何が残るかと思うと、やっぱり銀行の残高や不動産とかいうものではない気がします。自分の体も借り物のような気がします。

ベルガ:経験や学んだことは残ります。リセットされても、それらは無意識のうちにあるものです。そうでなくては、不公平でしょう(笑)

また、自分の目に見える世界は、「原因」の世界と考える方がいいでしょう。つまり「結果」を変えられる世界という意味です。

なおき:そうなんですか。結果の世界に思いますよ。過去数千年の積み重ねから、こんな風になってしまってと思います。逆に収支がつかない状態を楽しむというのもあるのでしょう。

ベルガ:そうです。だから、一度、楽しんだ上で、改善の道を探すというのがパターンとも言えます。山登りのようなものです。登山前には頂上は見えているでしょう。麓から登っていっても、どこが頂上かわからない。ただ、方向はわかるでしょう。頂上に立てば、そこが頂上だとわかるのです。

それは大きな目標でしょうが、一歩一歩を楽しむのも、仲間とのおしゃべりや、草葉や紅葉を楽しむのもいいでしょう。日々の生活を楽しまなくては、大きな目標というものも価値が薄れてしますのです。

変化があるのは、当たり前。それを楽しむのが、ひとつのコツともいえるでしょう。何を見て、どう思うのか、どう感動を覚えるのか、それらの体験を通じて、自分というものを再発見するのです。それは課題とも言えるでしょう。

なおき:そうですね。個々それぞれなんでしょう。そうすると、課題となる体験というのも、人それぞれでしょうから、ワクワクする方向などの人の好みもまちまちなのが納得できます。

ベルガ:まずは自分というわけですが、人の中にあって、人間ですので、自分の貢献というものもよく見てみるのにいい時期でしょう。

なおき:そうですね。ありがとうございます。

-Naoki


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2009-12-09

なおき:いつも、ありがとうございます。

仕事探しの件なのですが、今までの経歴ですと、ほとんどお呼びがかかったところに来ている感じがします。

ただ、それが本当にいいのか、とも思うときがあります。つまり、もっと自分側から選ぶようにしたほうがいいのかという疑問です。

あと、今回は経験とスキルから考えると、3つほど違った専門分野の方向性があるのですが、どれにしようかというのもあります。

職種によっては、人に評価や感謝されるというのが、業界内でもだいぶ異なるように思います。たとえば、システム管理など仕事は、どちらかというと正常に動いているときにはあまり感謝されないと思います。

動かなくなれば、文句が出て、それを解決すれば感謝されるという類のように思います。へんな話ですが、問題が起きることによって、感謝される可能性が高まるというものです。逆に言えば、問題が起こりにくいシステムにすると、それが少なくなるともいえます。

なんとなくですが、あの世もあんまりこちらと変わらず、目立った評価や感謝というものが大切にもされている気がします。どうなんでしょう?

ベルガ:お呼びがかかるというのは、種まきというものがあってのことです。お呼びがかからないというのは、それがされていない、またはそれまでの人間関係を築かれていないということです。土作りのようなものでしょう。

そういった意味で、自分から選択し行動する部分は、やはり必要です。ただ、あまり意識せずに行動している場合も多くあります。

人事を尽くして、天命を待つというのもあるでしょう。お呼びというのは、それくらいに考えるのがいいでしょう。

評価というのは、霊の世界でもあります。かなり異なりますが、基本は同じようなものです。

娘さんの行動を見ていて、大人にもある自我の部分を見ることもあるでしょう。同時に大人には失われたような高尚な部分を見ることもあるでしょう。

評価システムというのは、基本的には自動ですが、マニュアルで上書きもできます。ですので、どうにでもなるとも言えます。上司がいるというよりも、自我といってもいいですが、自分自身のなかにバランサーのような機能があると考えてもいいでしょう。そのバランサーのアルゴリズムが魂の多様性でもあり、質ともいえます。

あなたも言われていたように、ワクワクするほうを選ぶというのが一番簡単でしょう。うれしい、たのしい、しあわせとも言っていましたが、どうも自分自身の正直な部分が見えなくなることもあるようです。基準は1つに絞るほうが、わかりやすいかもしれません。

自分の興味のあることであれば、いくらでも勉強もするでしょうし、他の人のためにもなるでしょう。あまり評価やスコアカードを気にすると、ゲームを楽しめなります。楽しんで力を出し切るようなプレイのほうが、ゲームの後での達成感もあるでしょう。観客もそのほうが見ていて気持ちがいいものです。それが1つの評価にもなります。

なおき:そうですね。確かにワクワクするほうを選ぶというのも、単純なようで結構、奥が深いと思います。人生の経験によっても違います。

若いときに、どうもこっちにワクワクすると思って選んだことは、今となってはもう他人のように、なぜそれにワクワクしたのかというのもよくわからないです。

選んだこと自体は、全て結果オーライでよかったとは思います。

そうすると今の時点で、自分でワクワクすることというのは、やっぱり今の自分にしかわからないのでしょう。

ベルガ:おそらく、そうでしょう。ただ、認識されているエリア外のことには、あまり気がつきにくいでしょうから、今、興味があるものをとことん調べてみるのと同時に、普段してみないようなことも試してみるのがいいでしょう。

それはお子さんも一緒に楽しめるでしょうから、一石二鳥ですよ。

なおき:そうですね。まぁ、猶予期間が考え方によっては2~8ヶ月ありますので、そうしてみます。ありがとうございます。

===

自動化されてなかなか感謝されないというのは、健康のようなものかもしれません。

あと欲しいものは、人にあげるとまわりまわって帰って来る。という法則から見ると、感謝されたければ、他の人に感謝するというのが、遠いようで近道なのでしょう。

ありがとうございます。





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なおき:いつも、ありがとうございます。

2月末までの猶予期間つきですが、レイオフとなりました。給料は4月末まで出るのと、健康保険などもそれまであります。この猶予期間はとてもありがたく思っています。

とりあえず、2年ほどはローンなど支払いできるだけの貯えはありますので、人生プランの見直しにもいい機会だと思っています。

こういうときはどうするのかよろしいでしょうか?

ガタル:ひとつの区切りとして、いいものであろう。自分から他の会社などにいけないようにもしていた部分もあるので、その点はいい後押しともいえよう。

心の準備もできていたのであろう?

なおき:そうですね。同僚の人など、怖がっている人もたくさんいましたので、その人たちでなくて自分でよかったなぁとも思いました。

同僚といっても仕事以上に友達とは思っていますが、何人かとはお別れになる気がしていました。上司から言われて、ああ、自分のことだったんだと、なるほどと思ったぐらいです。

感情的なところはあんまり動揺もなかったように思います。お金の計算をしてみると、5年分の貯金と思っていたのが、1.5年~3年と出たのには、現実に引き戻されました。

ガタル:それくらいの刺激があるほうがよかろう。現状のように、未来がよくわからないときには、現実化の実践のいい機会にもなろう。

今までは、地面の上に根を張って、成長すれども限界が見えていたようなものであろう。

今の状態は、ヘリウム入りの風船のようなものである。風にも流され、普段は意識もしない程度の静電気にも引き寄せられよう。

お前さんの楽観主義と、できることをできるときにするような合理性も役に立つであろう。

なおき:そうだといいです。人が仕事を選ぶのでなくて、仕事が人を呼ぶというのは、どうなんでしょう?

職探しでなくて、自分でビジネスを始めてもいいのですけど、どれくらい自分から積極的にいくのがいいのか、と思います。それとも待ちのほうがいいのか、ということです。

ガタル:どちらが選ぶ、呼ぶというのは、あまり気にしても仕方がないであろう。それは単に本人が、どう思うというだけである。全ては1つであると思えば、全て自分で選んでいるからである。

ただし、望ましい選択というのは確かにあろう。自分の真意に近いという意味である。

自然な流れであれば、それに任せるのもよかろう。わくわくするような選択肢があればそれを選ぶのもよかろう。

それらは、種まきをいう作業の上にある。芽が出ることだけを期待すれば、種蒔きはいつでもよかろうが、収穫を期待すれば、時期というのはかなり限定もされよう。つまり、タイミングを見た上でしっかりした種まきをするのがよかろう。

その上で、のんびり待つのもよかろうし、忙しくして待つのもよかろう。

なおき:なるほど。そうですね。とりあえず、種まきだけはしっかりするようにしてみます。

ありがとうございます。

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なおき:いつも、ありがとうございます。

最近、ばらばらでいただいたインスピをちょっとまとめてみます。自我に関してです。

自分の前に、何人の人がいるかで、自我の反応が異なるように思います。

自分1人のとき、目の前に1人の人がいるとき、数人の人がいるとき、多数の人がいるときです。

まず、自分が1人のときです。人に見られていないからということで、いろんなことができますし、すると思います。

孤独に感じて、余計な行動を起こす人もいるでしょう。寝起きのときなどに、全体を感じていて、急に個にもどった自分を感じることもあります。

本来ならば、一番、自然体の自分がいる状態だと思います。

次に目の前に1人の人がいる場合です。家族でもペットでも他人でも、同じことです。

周りの目がないところでは、行動と反応が変わることがあります。場合によっては、自分の相手に対する依存心が出てくることもあるようです。

夫婦けんかなど、相手に対する依存からだと思います。

でも、1人でばかりでいるのもつまらないですから、対人として一番楽しめる関係だとも思います。

複数のグループの場合です。家族のような関係や、仲間意識が出てきます。Aさんがいても、となりにBさんがいたりしますので、他の人の目というのが出てきます。

この他の人の目というのによって、正義感や責任感というものが生まれやすいように思います。他の人の文句を聞いて、怒りの代理をしてしまうこともあるように思います。

あと、ついでに、グループ対グループの場合もあります。仲間意識から、スポーツの応援や愛国心などのようにもなるように思います。ただ、このときは相手というものを排他的にとらえすぎてしまうように思います。

結局のところ、自分という個があるとして、他の人から見られている、観察されている、評価されているという目によって、自我の反応が変わる人が多いように思います。

それは半分は当たり前ですが、半分はそのままではよくないように思います。いいかえれば、裏表のある人間というわけです。

そうすると、上記のような場合においていつも同じような人であるというのが望ましいように思います。それが統一された人格のようにも思います。いつも自然体でいることができるのがいいように思います。そのほうが気楽だと思います。

ネットの匿名やハンドル名の書き込み、フリーウェイでの車の運転、初めてでおそらく最後という短時間の対人関係、といった状況で、他の人からは誰かわからないというように思って、おかしな行動をとる人もいます。

ただ、実のところ神さまはお見通しというか、私たちはだれでも観察の対象になっているようです。ただ、観察者はころころ変わるようです。

興味がなければ、他に興味のある対象を探すのでしょう。

だから、日本で昔よく言われたように、世間の目とかお天道さまというものをいつも意識するのがいいように思います。どうでしょう?

ルシェミ:そうですね。

普通に人生を歩んでいれば、見られているものだということには、気がつくでしょう。本来なら、子供のころにはもっとわかっていたことですが、自我のプログラムが順番にインストールされてくるとわからなくなる人が多いようです。

それよりも、どのようなことが観察され、データ収集されているかを知っておくのもいいでしょう。多くの測定方法のうちの1つです。

1)環境:いろいろな環境下におかれ、いろいろな出来事が起こる。

2)受信:それに対して、何を感じ、思うのか。

3)意識:そこから、どのような意識の変化をおこすのか。

4)行動:さらに、そこから行動を起こすのか、起こさないのか。行動の内容。

1-4が永遠と繰り返されます。そこから、5番めに学びというのがあります。

5)学び:なにをいつ学んだか。そこからの変化。

つまり、学びがなければ、繰りかえされるか、タイムアウト(寿命)となるわけです。

なぜ、このようなことが観察の対象になるかといえば、個としての、種としての選別方法にもなるからです。

同じような状況下でも、個によって、意識と行動が異なるのです。まったく逆になることもすくなくありません。

なおき:そうですか。あんまり、選別なんて聞こえはよくないように思いますよ。

なんだか、魂の選別にも聞こえますけど、肉体によっても、意識や行動というのはかなり変わるように思いますよ。

バイクに乗って高速道路を走るのと、トラックで走るのでは、感覚も運転もやっぱり違います。

ルシェミ:私たちの観察やデータ収集は、1日単位というよりも1生単位というくらいです。こまかなさざなみは、ノイズのようなものです。

ただ、今ある自分や環境というのは、自分で意識や記憶がなくとも、自分の選択の結果ということが非常に多いのです。

自分でどのような肉体を、どのような家族を選ばれたのか、覚えていませんか?

思い出そうとすれば、思い出せると思いますよ。

なおき:そうですか。よくわからないので、保留にしておきます。ありがとうございます。


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12月から3月ごろ (皮膚の状態のよくなかった頃)

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最近のようす。ほとんど大丈夫となりました。ありがとうございます。

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2009-09-11

なおき:おはようございます。いつも、ありがとうございます。

ここ数週間ほど、夜明け前に起きるようにしていますが、やはり自分一人の時間の必要性を感じました。

特に何をするわけでもなくて、庭の植物の生育具合を一回りチェックするくらいです。それでも、ほとんど真っ暗な夜明け前から、30分ほどの間に外で新聞でも読めるくらいまですぐに明るくなるのは、すごいなぁと思います。

あと、最近、麗花さん(娘)の顔をみて、アトピーがよくなったねという人が多いです。確かにもう大丈夫だと思います。それで古い写真を見ていたら、生後5-11ヶ月ほどの半年ほどは、やっぱり大変だったなぁと思いました。見ていて気の毒で、写真もあまり撮っていなかったです。

あと、ぼろぼろの顔でショッピングなどに行くと、「なんで子供をそんな状態にしておくんだ、病院に連れて行け」とでも言うように、にらみつけてくる人もちょくちょくいました。ホリスティックな考えがある人には、「薬を使わずに食事などで治しています」というとすぐに分かるのですが。結局、薬なしで半年でよくなったというのは、本当にありがたいことです。

結局のところ、アレルギーとなるものを試行錯誤で食事から抜いていったのですが、結構、種類があります。ピーナッツ、ナッツ類、卵、牛乳、ヒヨコ豆、とうもろこし(?)というのはすぐに分かって食事から抜きました。大豆、小麦、オート麦にアレルギーがあると分かったのは、実際に2週間ほど使わないようにしてはじめて分かったことでした。特にオート麦などは、保湿剤や入浴剤にも使われていて、まさかというものでした。アレルギーのあるものを皮膚に塗っていたら、なかなかよくならないわけです。

とにかく、以前よりも格段によくなって、ありがとうございます。

上宮さんのブログで、「精神汚染」というのがありましたが、実際にあると思います。個人的には、イライラ系の人などが数十メートル以内にいると、見えないところでも影響を受けている気がします。ただ、そういう人たちが寝ていると、いないのと同じように思います。だから、夜明け前の人の活動の少ない時間に起きたくなってきたのかもしれないです。

その影響は、金属、ガラス、木材、コンクリートなどでも影響は弱まるものの結構伝わるように思います。最近、気がついたのは生きている植物、生垣などはかなりブロックしてくれるように思います。植物のエネルギーなのか、生きている波動なのか、水分なのかはわかりませんけど、そんな気がしています。それに気がついてから、高生垣を作っています。

人間の肉体の組成は、人種など関係なく99.99%以上同じというようですので、確かに共振しやすいのかもしれません。体ですと、体脂肪率などで差は広がるかもしれませんが、脳の組成だとほとんど変わらないように思います。

特に自己責任においての自立思考をするには、他の人からの影響もよしあしだと思います。そのあたり、どうするのがよろしいでしょう?

ガタル:娘のことは、よくなってきたということでなによりである。覚悟のあるものには、よい指針となるであろう。

他の者からの影響というのは、お前さんの感じているそのままであろう。ただし、それは人によっても違うし、同じ人でも体調や年齢によっても異なる。人間の肉体を持つことの目的を考えてみれば、その機能も理解できよう。

肉体を持って生きるということはどういうことか?思いの世界から、3次元と時間に制限された世界に来ているわけである。思いは重要でもあるが、それ以上に行動が意味を持つようになっておる。つまり、自分が何を思い、何をするか、結局、それが人生というものである。

その上で何が得られるのか、情報である。情報には、自分が体験や体感したことも、考えてできた結論もあろう。そのためには、観察するための5感や第6感などのアンテナもそなわっておる。

それらをどう使うかは、お前さん方次第である。入ってくる情報や影響の中には、歓迎したいものもそうでないものもあるのが当然である。フィルターのように取捨選択をするのもよかろう。望まないものも、自分に都合のいい解釈で自分のエネルギーとするような意識プログラムを作るのもよかろう。

なおき:小林正観さんの言っていたようなのですね。駄洒落を言って受けたら、喜んででさらにやる気になる。駄洒落を言って受けなかったら、受けさせてやろうとやる気になる。というものですね。気功でも、引き受け気功というのは、相手のネガティブなエネルギーを変換してから自分に取り入れると聞いたことがあります。

ガタル:充電池のように一時的に体に溜め込むのはよかろうが、情報やエネルギーというものには流れも重要である。古きものにこだわらず、新しいものを楽しむというのもよかろう。

なおき:そうですね。ありがとうございます。

-Naoki


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2009-09-06

なおき:おはようございます。いつも、ありがとうございます。

久しぶりの気がします。ちょっと最近の報告と発見の考察をしてみます。

税務署の監査も確実なものとして準備もしていましたが、1度で終わりました。よかったです。ありがとうございます。

最低でも4時間半はかかるという連絡でしたが、3時間で終わったので、早く終わったと思います。

手間はかかりましたが準備はしっかりしました。こんなことなら、税金の申告前に同じだけの労力をかけるほうが節税になると思いました。つまり、なにかをやるべき時期というのは、確かにあると思います。つまり、お得な時期というものですね。

後になって気がつくという類のようです。まぁ、今生きていて、やっておいたほうが得というものもたくさんあるのでしょう。

あと監査のときに麗花さん(1歳の娘)を連れて行ったのが、かなりポイントが高かったです。相手の人は50代ぐらいの女性の人でしたが、最初に会ったときに握手はするし、拍手はするしで、大サービスでした。その場の雰囲気では、簡単に早く終わらせてあげようという感じが伝わってきました。その後、3時間ほどの間も、かなりおとなしくいい子にしていました。親が真剣に準備をしていると、それが伝わるようです。

あとで、ぐったりするぐらい気をつかっていたようで、申し訳なくも思いましたが、感謝しています。

次は、隣家の葉巻の匂いとバンド練習のことです。結局、直接出向いて「やめてほしい」と何度かいうことで95%は解消しました。これは、会社のお友達が言っていたことですが、「言わないとわからないから、言ったほうがいい」というものです。当たり前ですが、確かにそうだと思います。

日本では、「言わなくても、わかる」というのが美徳のようなところもありますが、分かっていても人の迷惑になることをするという人はいるものです。それなりに対処するのがいいように思います。気にならないというのがいいと思いますが、気になるのであれば、対処するのがいいのでしょう。

迷惑関係ので観察していましたら、やはり、男性のほうが圧倒的に多いように思います。自分にもそういうところがあるので、人のことは言えませんが、A=B,B=Cということがわかっていても、A=Cというようなこともわからない、または不確かだから関係ないというように行動するようです。つまり、基本性能としてはやっぱり女性のほうが高いように思います。

あとは、なるほどと学習すると、どんどん馬鹿なことをするのが減って、まともな人になるようです。小林正観さんのいう、「魂のレベルアップ=人格のマイルド化」という傾向はあるように思います。

昔は、歳をとるとトゲのようなのが減ったり磨り減ったりするのかと思っていましたが、そのようなカードを使うよりも別のカードを使えるようになるように思います。そうならないと、「今の若い者は」などといいたくなるのかもしれません。

そんなところなのですが、どうなのでしょう?

ガタル:思いというものは、大切であるが、同様に大切なのが行いであろう。その両方のバランスを持つのも学びともなろう。

行為というのは、一度で済まぬことも多々あろう。庭の掃除のように、自分が使わなくとも、落ち葉などは降り積もるし、芝生も伸びよう。

思いも行いも継続が必要なものである。

お前さんの言っていた成功法則で、「学習と実践の繰り返し」であるが、その間に、今回のような「観察」も入れるのがよかろう。単に本に書かれていることを試しているだけでは、試行錯誤となるだけであろう。過去のデータに基づいたものだけでは、目の前の変化に対応するには不十分な場合もあろう。

自分の経験からの要素をできるだけ入れるには、観察という意味で、自分の心や感情のアンテナを読み取り、他の者たちの反応のデータを読み取るのも、大切なものとなるであろう。

後は、それらの直感も過信はせぬようにな。自分の直感を信頼度を知りたければ、トランプのカードをあててみるのもよかろう。それがボトムラインである。人から読み取る場合には、精度は上がるが、情報の質というのも別の要素となる。

なおき:そうですね。

観察には、復習も含まれるのですよね。1日の始まりに今日する予定のことを確認して、終わりに今日したことと明日する予定のことを確認するだけで、1日の効率が全然違います。

ありがとうございます。


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心理学的には、2つは別物と考えられているように思います。

ですが、日常会話的には英語でも日本語でもごちゃまぜなっている気がします。それが1つの勘違いのもとなのかもしれないと思いました。


2009-08-14

なおき:いつも、ありがとうございます。

糖質栄養素ビジネスの解雇通知は、取り消しになったという通知が来ました。ですので、まだ続けてビジネスができます。

今回の件では、何人ものお友達にヘルプをいただきました。個人的には、どうでもいいという部分がありましたが、手紙を書いてくれたお友達やビジネスを通してご縁のできた人のことを考えると、やっぱり中途半端にはできないなと思いました。

それで、弁護士さんとも相談したりして、英語力の制限はあるものの個人的に書ける最高の手紙を出して、今回の取り消しとなりました。

今回、特に思ったのが「自尊心」ということでした。「プライド」とは違うものとしてです。

以前に、江原啓之さんのお話で、「なぜ、自分のことを粗末にしたり、適当にしてはいけないか」という質問に対する回答がありました。「自分がそうするのは、まさに勝手で結構だけれども、自分のことを大切にしてくれた親などのことを考えたら、そんなことはできない。それが自尊心だ」というようなのがありました。

つまり、感謝を元にして、自分を大切にすることのように思います。これであれば、自分のことも大切にするし、他の人に対しても大切にしてくれている人がいるのだろうから、とことで尊重できると思います。

Wikipediaを見て知ったことですが、「プライド」とは別のものだということでした。つまり、「自尊心を英語でいうとプライド」と思っていると、間違いということです。

英語と日本語の訳ではごちゃ混ぜになっているようです。つまり、自我の防衛的な部分からきた似たようなものです。それだけに、他の人にたいして攻撃的な反応を起こすことがあるようです。コンプレックスなどから、いじめという行動に出たりなどです。ちょっとしたことで、怒ったり、怒鳴り散らしたりというのも、そうでしょう。

虚栄的なものと、尊重するというものは、やっぱり別のように思います。これを勘違いすると、やっぱりおかしなことになりそうです。

一応、自分は家庭や人間関係にも恵まれていると思いますので、そういうことで感謝がしやすいのかもしれません。

もし、自分で不運とか思っているようですと、勘違いしてしまって、なんかもったいないことをなっているかもしれないと思ってしまいます。

そういう場合、どうするのがいいのでしょう?

ベルガ:どうするもこうするも、それは個人の学びであり自由でもあると、最初に申し上げておきましょう。つまりそのような人には関わらなくても、よいということです。これが基本です。向こうからやってくる場合もあります。

基本以上として、誰か縁のある人や特定の人を何とか助けたいとでも思えば、それは心に従えばよろしいでしょう。それはすでに用意されているプログラムのようなものです。

自分の中で、虚栄心と尊重心とでも言いましょうか。2つが別物と認識できるようになれば、相手の中にもその2つがあることを認めてあげるだけです。

それができれば、虚栄心というのは、簡単に消えます。ただし、そうなるためには偽善でなく、目の前の人を助けたいという気持ちが必要です。それがなければ、よけいにややこしくなることもあります。

なおき:そうですか。そんな感じもしますね。まぁ、合わない人にまで、無理に合わせようとしなくていいというのは、気楽に思えます。

話が戻るのですけど、親とかに大切にされたとかいう意識がない場合や人もいると思いますよ。ただ、この間、おがくずが目に入って救急病院にいったときのことですけど、なんとなくですが、とても守られているというように感じました。左目なんて、このまま視力を失ってしまうかもとも思いましたが、安心させるような感じも受けました。ありがたいことです。

人間の体なんて簡単に壊れるけど、そう簡単に壊れたりして不自由になったりしないのは、守護麗さまかどうかわかりませんけど、なにかやっぱりある気がします。そう、思ったら、やっぱりご先祖様なども大切にしないとと思いました。あ、今日は日本はお盆ですね。

ベルガ:気がつかれないようにサポートするというのが基本です。ただし、気がついてもらうというのもひとつの目標です。

そして基本以上のものがあるとも申し上げておきましょう。

まずは目の前にあるものを見てみるのもいいでしょう。どうやって作られたのか、中身がどうなっているのか、どのような仕組みになっているのか、わからないようなものだらけでしょう。

皆さんの体だってそうでしょう。体のこともわからないのに、心や魂のことなどなど、さらにわかりにくいものです。ただ、そういうことを考える意識もあるわけです。

親や兄弟姉妹や周りの人以前に、皆さん1人1人が今、存在するだけで、実に多くのサポートがあるのです。それをもとに自尊心とするのもよろしいでしょう。

なおき:そうですね。よくわからないことでも、自分に都合のいい考え方というのありますよね。そのように考えるほうが、なんとなく得のように思います。ありがとうございます。


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2009-08-10

なおき:いつも、ありがとうございます。

昨日は、長崎の原爆の日でした。お友達で崎での被爆者の人がいて、現在、末期ガンとして余命宣告1ヶ月とされている人がいます。

年齢から逆算すると、10歳のころの体験となります。10歳なら記憶としてたくさん残っているかと思いますし、人格形成にもかなり影響していると思います。詳しくは話していませんが、やっぱり大変だったんだろうと思います。

自分の10歳のころには、何でこんな時期に生まれてきたんだろうとよく思ったものでした。

パソコンと出会うまでは、夢なし、希望なしの変な子供だったように思います。やりたいことがないから、試験でいい点を取ると、ほめられるから、いいことなのかと思って勉強ばかりしていた気がします。

なんだかんだといっても、昔に比べてずいぶんよくなって来ている気がします。戦国時代でもないし、無礼者ということで簡単に斬られる時代でもないし、アメリカは戦争中ですが、日本では戦争は一応ありませんから。

だから変なことに気を向けたりする余裕があるのでしょう。

この間の感謝、感謝のあとで、斎藤一人さんの数年前の講演の聴きなおして、思ったことがあります。

「感謝するのは当たり前」ということと、「感謝してやっとスタート地点」ということです。自分が周りの人やら神さまとかご先祖さまとかに感謝するのは、当たり前ということです。まぁ、なかなか当たり前のことができないから、「まだ、わからないのか」と試練やお試しが来るようですけど。

それでスタート地点というのは、感謝される側にならなければゴールへ向えないというわけです。

ようするに、「感謝される人になりましょう」、「人に感謝されることをしましょう」というわけです。

これは「後ろ指をさされる人にならないように」などというくらい、小学校の道徳とかおじいちゃん、おばあちゃんに教えられるくらいのことだと思います。

結局、基本的な考え方だと思います。そんな簡単なことを、私のように人生1/3から半分ぐらいになってから、ああ、そうだよなと言っているようでは、あんまりよくない気がします。

それで、まわりに迷惑者と見られる人たちを観察していたのですが、「他の人もやっている」、「合法だから」、という理由で、結局、本人が「自分がハッピーでない」と思っているから、周りの人をハッピーでなくしてしまおうというのが根底にあるようです。

それもハッピーでないというのは、単に勘違いや、考え方の問題のようです。どうしたものでしょうかね?

ベルガ:カルマというのも、振り子のようなものなのです。右に行ったら、その分、左にも行きます。

当たり前と思うことを、体験や経験のあとで再確認するのも、それはそれで価値のあることだとも言えましょう。

方向性がまちまちというのも、拡散する光や、雑木林のようなものかもしれません。そのなかで決まった波長のレーザーのようなものが現るのか、大木が育つのか、それも実験とも言えましょう。

今、お子さんを育ていて、やはり世の中に出させるときにことも考えるでしょう。言語やマナーというのも大切でしょうが、自立思考や自分が大切と思ったことを教えるのも大切でしょう。

お子さんもあなたが子供のころのように、まじめすぎるところがあるようですので、それは留意しておいてもいいでしょう。

なおき:そうかもしれませんね。周りの人を観察しているようです。上宮さんのブログにもありましたが、自立思考が大切のようですね。

ありがとうございます。


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2009-08-03

なおき:おはようございます。いつもありがとうございます。

土曜日のアボカドの木の剪定は、いろいろ見直す機会になりました。ありがとうございます。

2階建ての屋根ぐらいの高さのアボカドの木の剪定で、お友達3人+その1人の奥さんと子供2人に手伝っていただきました。

普通に考えても結構、危険な作業ですし、20-30kgもある枝を屋根の上などに落としてしまうと、簡単に壊してしまいます。

ほとんど完了というところで、私の不注意でおがくずをたくさん自分の目に入れてしまったのが、大変でした。

完全に目つぶしとなってしまい。両目とも開けていられなかったです。結局、救急病院にいったわけですが、こういうときはやっぱり感謝するしかないわけですね。

手伝ってくれたお友達にも、まともに挨拶もできませんでしたし、他のあとの予定をキャンセルすることにもなりました。

でも、他の人でなくて自分でよかったというところでした。他の人には、保護ゴーグルをつけるようにといっておいて、自分がしていなかったのもありますけど。

角膜にも傷はつかず、病院で30分ほどかけて目を洗って、1番寝たら、大丈夫になりました。ありがたいことです。

目の大切さが本当によくわかりました。普段、当たり前のことができるありがたみですね。

それで、どうしようもないから、「ありがとう、ありがとう」と呪文のように唱えていて、思ったことがありました。

なんというか感謝というのは、宇宙の礼儀のようなもので、その礼儀を守っている間は、悪意があっても手出しができないように思いました。

そんなものなのでしょうか?

ナムル:目が無事でよかったですな。おっしゃるとおり、大きな怪我にもならず、よかったでしょう。あのアボカドの木にも感謝を忘れずにしてくださいませ。あの木は、本当に心優しい木でございます。

なおき:そうですね。去年も今年も、かなり枝を切りましたけど、一度も切っている私に当たったことも、屋根などにも当たったことがありませんよね。木の意思を感じます。

ナムル:感謝の気持ちというのは、水のようなものとも考えるのもよろしいでしょう。万能のようにいろんな使い方ができるわけです。

圧力鍋のように封じ込めたり、高圧水流で金属を切ったり、トマトを育てたり、飲み水になったりというわけです。

言葉とともに意識というのはそれだけいろんなことができるのです。

目が見えないときのもどかしさはあったでしょうが、他の感覚の必要性も感じられたでしょう。

なおき:そうですね。まぁ、人間の体なんて100年ほどは持つとは言っても、簡単に壊れるものですね。そうならないように、十分に手入れはしたほうがいいとは思いますし、自分の体といっても誰かに借りている気がします。

ナムル:それくらいに思っているのがちょうどよいでしょう。魂が不滅だと言って、肉体をおろそかにしてはもったいないでしょう。磨けはいくらでも光るものです。

なおき:それで、感謝というのは、宇宙の処世術のようなものだったりするのでしょうか?

ナムル:まぁ、そう考えるのもよろしいでしょう。感謝は水、怒りは炎のようなもの、やさしさは太陽ですか。私としてはそのような例えのほうがわかりやすいようにも思います。どれも多すぎれば、持て余してしまいましょう。うまく使えば、道具にもなりましょう。

まずは、決め付けずに自分の心がどう感じるかを確認してみてくだされ。

なおき:そうですか。体験しながら、学んでいくものなのかもしれませんね。ありがとうございます。


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2009-07-25

なおき:おはようございます。いつもありがとうございます。

インターネットのお話ですけど、個人の情報力というのが強化されるのはいいことのようですが、逆に匿名性とか仮の人格的なものを作ってしまいやすいように思います。

それはそれで面白いのですが、私自身の課題にも感じている人格の統一というのから考えると、あまりよくない気もします。

それはネットに始まったことではなくて、都会の生活や引越しなどが頻繁になってからのように思います。隣の人がどんな人か知らないで生活できるわけですし、それが当たり前になっている場合も多いようです。私の場合はそうでした。

それをプライバシーと呼ぶのも変な気もします。それが年代が進んでいくと、私の見た感じでは、なんとなくですが、寂しさを漂わせている老人の人が多いように思います。

本人に関しては、本人の学びがあるのでしょうから、そういうものだととらえています。ただ、自分が勝手に思うことですが、気の毒にも思います。

そうするとそうならないほうが幸せにも思います。自分も含めて、家族、友人などには幸せという選択がいいと思います。

おそらく、「人」という漢字のように、自分で独立できるような力を持ちながら、他を支えることができるのがいいのかなと思います。

とりとめない感じもありますが、なにかアドバイスなどありますでしょうか?

ガタル:自分の未来は選べる。それは行動によって変わるということである。

逆に未来は決まっているとも言える。それは、そのままの状態を継続すれば、その未来が決定しつつあるというものである。

どちらでもよいというのは、ハイヤーセルフ側の意見である。それは情報収集としての意味でもある。

肉体と自我を持っている上では、自分を主人公とした物語の途中と考えるのがよかろう。

行動によって変わるイベントもあるだろうし、変わらぬイベントもあるであろう。

物語のなかで、命ある主人公は勝手に動き出す。それは赤子を見ているようなものかもしれぬ。実のところ、作者と主人公は同じものである。

「自分が求めるものを、他に与えよ(そうすれば自分にも与えられる)」、「情けは他の人のためならず(情けは自分のため)」といった言葉にも、法則があるのが見えよう。

なおき:そうですね。小林正観さんも、「宇宙は律儀な2倍返し」とか言っていましたよね。

学校では道徳なんてあまり重要じゃないように扱われていると思いますが、考え方というのはやっぱり重要ですよね。

親が子供に体験を持って教えてあげることなので、うまくできるようにしてみます。

ありがとうございます。


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なおき:麗花さんも1歳となりました。お誕生会には43人も来ていただきました。ありがとうございます。

普通のお家に入る人数ではなかったように思います。ごった返していて、来てくれた人にもあまりちゃんと挨拶をできなかった人もたくさんいました。

でも、こんなに他の人に気にしてもらえて、ありがたいことです。

パーティーとあと最近の観察で気がついたことです。

宴会もパーティーもお祭りもそうなのですが、人が集まることで、ある種の傾向が出てくるようです。

話しながらとかになるからか、食べ物や飲み物にすごく無駄が出てしまいます。いつももったいないと思うので、できるだけポトラックのように持ち寄りにしていますが、やはり傾向として、食べ物に対する感謝が減るように思います。

これを一般化すると、人が集まると人間の肉体の物理的な特性が出やすくなってしまうように思います。あんまりよくない傾向に思います。なんというか平均化される気がします。烏合の衆という感じです。

さらに一般化して、グループ化や組織化というものを見ると、平均化というものを本来の姿でないと気がつく人がいるように思います。そういう人は、衝突したり、変な感じに目立とうとするわけです。責任感のある人がリーダーとなろうとするのもそうです。

短絡的かもしれませんが、グループ化というもの自体あまりよくないように思います。

そうすると、逆に個人として独立し、自分の時間や空間やペースで物事を進めるほうが、人間の魂とか心といった、いい部分がもっと引き出せるように思います。

個人と個人と関係ややり取りというものは大切に思います。だから、どうだということはないのですけど。どうなんでしょう?

ベルガ:振り子のようなものとも言えるでしょう。無理をすれば、それだけ原点に戻ろうとする力が強くなります。ただ、なかなか原点には戻らず、いつまでも振れているものです。それが人間のひとつの特性でもあります。

発見したと思えるものは一つの経験として、執着しないことです。下手に執着すると物事がありのままに見えなくなります。

そのような経験もひとつの指針とはなりますし、未来を作る原動力にもなるでしょう。ただ、人によってステージが違いますので、一般論は必要ないでしょう。ある傾向の1つとして考えるぐらいでよろしいのです。

なおき:そうなんですかね。パーティーの後であまったものを、もったいないと思って普段食べないものまで食べたせいか、具合もよろしくなくて下痢もしてしまいました。

体調を崩したせいなのか、夢のなかでどこに行ったのが覚えていませんが、起きたときになんというかひどいホームシックのような気分になりましたよ。滅多にないことなのでよく覚えています。

特に実家とか日本に帰りたいというより、なんというかこの世に対して、いつまでここにいなければならないのかというような気分でした。

ベルガ:詳しくは申しますまい。それよりも、ホームシックというのは幻影のようなものです。都合よく覚えていた過去を美化するものでもあります。それを心のよりどころとするのも、またよろしいでしょうし、理想とするのもよろしいでしょう。

ただ、自分にできることはといえば、それに追いすがるのでもなく、現実逃避をすることでもなく、自分自身が他の人に対して、ホームや故郷といったものを提供することです。

自分には理想がある、それをあなたに提供したいというわけです。そうすることで、自分自身のホームというものができるのです。

なおき:そうですか。そうですね。逃避してもしょうがないですよね。

昔のアニメのせりふを思い出しましたよ。

「バイストン・ウェルの物語を覚えているものは,幸せである」

ありがとうございます。



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2009-07-14

なおき:自我と自己認識というのは、似ているようですが、やはり違うものなのでしょうか?

自己認識というのは、知覚できることなので、なんとなく判りそうな気がします。

自我やエゴも、形のないものです。どちらかというと、本人よりも周りの人からの観察で認識されるようにも思います。

この間の話であれば、自我はATフィールドのような拒絶の壁ともなれば、雲のようにも混じりつつ遠めには確かに境界のあるようなものとなるのかもしれません。

雲というか幽霊のようにも思えるかもしれないです。

スキーやスノボーとかでも、自分の装備を自分と感じるときもあります。バイクや車もそうですし、ゲームなどの画面上のキャラクターもそう思うときもあります。

一軒家に住むようになってからは、犬猫の縄張り意識のように、境界というのも以前よりはっきり意識するようにもなりました。作られた意識とも思います。

だから、どうということはないのですが、なんとなく気になっています。

ナムル:この間、絵を描いておったように、知覚というのは情報交換でございますな。

意識しなくても、視界や匂いや音としてとらえることが第一段階。

認識することが、第二段階。

意識を向けることやしゃべることで、第三段階。

自分の意識のフィードバックが認識できること、これが第四段階ですな。

どの段階であっても、情報は入って来ております。望まぬとも入ってくるので、ございます。

その情報に対して、どのように反応するか、それが自我ともいえるでしょう。

場合によっては、反射的な防御反応でもあり、自分の意思と同じものでもありましょう。

まぁ、人間という物理的なハードウェアに基いたファームウェアのようなものともいえましょう。

その本質は、善とはいえるものではないかもしれませぬ。

その上に、精神や良心や魂などというもの乗っかることで、はじめて善とも言える方向性が見えてくるともいえましょう。

それらがうまく繋がれば、上からファームウェアとも言える自我のアップデートが可能でもあります。それができると、肉体といったものものの本来の性能を引き出すことができるようになります。

つまり、自我というものが大きな制限でもあり、大切な部品でもあるのです。

なおき:そうですか。ファームウェアのアップデートに失敗すると、壊れたりしますよ。

ナムル:そうでございますな。それなりのリスクは伴いますし、望まぬとも自動的にアップデートもされます。

お子さんなどそうでしょう。だんだん、自我が芽生え、意思表示もできるようになってきているでしょう。少しずつ選びながらインストールしていると思ってもよろしいでしょう。

この間のガンの御仁もファームウェアのアップデート中ともいえるでしょう。正念場でもありますが、乗り越えれば、もう一段違った世界を体験できるでしょう。

まぁ、あんまり気にすることもありますまい。

皆さん方は、小学校の小学生のようなものでございます。ただ、学年がわからぬようになっています。1年生も6年生もごちゃまぜというものです。

特に先生のような人は、すぐにわかるでしょう。

なおき:まぁ、そうでしょうね。自分の未熟さを認識すると、なんとなく小学生ぐらいという気がしますよ。中学生だったら、小学生の記憶もありそうですけど、ありませんし。

ナムル:よくできたシステムですが、適当でおおざっぱなところがたくさんあります。だからこそ、いろんな遊び方ができるというものです。宝探しも、探検も、ごっこ遊びもできるというものです。

法則のようなものは、制限ともなりますが、ゲームの戦略ともなりましょう。

まぁ、乗せられたと思って楽しむのもよろしいでしょう。

なおき:そんなものなんでしょうかね。ありがとうございます。

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上宮さんより、パズルとすると、ピースをそろえないといけないということと、順番はあまり関係ないのだろうというコメントをいただきました。確かにそんな感じがします。

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2009-07-13

なおき:昨日はいろいろありました。

外でペンキ塗りの準備をしていたら、ハチドリが来て服に止まってくれたのは嬉しかったです。赤い服なので、花と勘違いしたようですけど。

あと、お友達のうちでアプリコット狩りをさせていただいていて、はさみを蹴ってしまい怪我をしたのは、まぁ、驚きでした。体なんて、本当に簡単に傷ついてしまうものですね。大したことなくて、よかったです。

個人的なところでは、2007年の税金の監査の通知が来たのと、長くやっていた糖質栄養素のビジネスの解雇通知ですね。これもお試しでしょうか?

ベルガ:まぁ、お試しととらえてもよろしいですが、確率的なものがあがっていると考えてもいいでしょう。

つまり国が財政困難になれば、そのストレスから回収できるお金を増やそうとするわけです。

会社も、訴訟問題などでギスギスしたものが社風となれば、そのストレスのはけ口を契約販売員のような人に来てもおかしくはないでしょう。

そのような傾向があれば確率というのも高くなるというものです。言い換えれば、清算とも言えるでしょう。

なおき:そうですね。ストレスやコンプレックスから来るいじめのようにも思いますけどね。

ベルガ:それもあります。自然現象というよりは、肉体や自我をベースにした生理現象ともいえるでしょう。受ける側としては、鍛えあげられる、いい機会ともいえましょう。

なおき:そうですね。ただ、あんまり感情的にも感傷的にもならないですし、少々面倒な手続きがあるので時間がかかりますけど、もう十分で卒業の時期かとも思います。

ベルガ:そう思えば固執することもないでしょう。同じことを繰り返していても、新たに得られるものは少なくなってきます。変化を吉とすれば、新たな道が見えるでしょう。

なおき:そうですね。まぁ、ただ個人の経験にはいいと思いますけど、全体的な改善にはあまり貢献もしない気がします。麗花さんももうすぐ1歳ですので、20歳までが子育てとして、5%ほど完了という気がします。子供と20-40歳年齢が違うとして、世の中が少しずつでもよくなればと思いますよ。

ベルガ:100年前と今の小学校を比べるようなものでしょう。近代化は進み、教える内容も変わっているけれども、小学校というものは同じです。

この間読んでいたマンガにも書いてあったでしょう。大河のようなもので、波や水は1瞬としても同じではなく、繰り返すことなくとも、大河は同じように見えるというものです。

なおき:そうですね。いろいろ考えてみるのも面白いですが、条件をつけなければたいていのことは楽しめる気がします。だから、なんなのかもよくわかりませんし、自我に与えられたゲームなのでしょう。

ベルガ:ゲームというより、パズルと考えるのもいいでしょう。時間はかかりますが、解けるパズルだと考えれば知りたいと思っていることも徐々に見えてくるでしょう。

なおき:そうですか。ありがとうございます。

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上宮さんより、以下のようなコメントをいただきました。

「エゴとは変幻自在・・・ATフィールドにもなり得るし霞のようにまとう事も出来る、名言だと思います。 自我という中心磁場があって、その磁場の変容によって如何様にも変われるという示唆ですね。」

なるほどと思いました。また、興味深いエリアが増えました。

ありがとうございます。

===
2009-07-07

なおき:七夕ですね。去年、植えた笹がよく育っているので、来年は七夕の笹作りができるかもしれないです。

不動産物件のほうも、自分たちようでなくお客さまと一緒に見に行ったりしているのも、今年だけで50-80件ほどのように思います。

その後で、具合がよくなくなって、寝込んでしまったことが今年だけで7,8回ほどあるように思います。早寝すれば、次の日の朝には、もう大丈夫なんですけど。

新品のカーペットや工事で使った薬品なのか、殺虫剤なのか、住んでいる人の感情や思念的なものなのか、憑依なのか、よくわかりませんけど。

あんまりよくないように思うので、もう少し防御したいのですが、どうしたものでしょうか?

ガタル:赤子やペットのようにしゃべらぬものを相手にしていれば、観察眼や相手の感情を受け取る力は磨かれよう。

それは良し悪しともいえよう。望まぬものまで受信してしてしまうのでな。

いうなればメールアドレスを公開して、多くのメールやSPAMメールも受信するようになっているような状態である。

SPAMフィルターのような、防御機能を作るのもよかろう。それを望むのであれば、何を受け取っているのかを解析することも必要になろう。

つまり、味見や毒見のようなものである。飲み物や食べ物でも、味わうことも、選ぶことも大切であろう。なにも気にせず、口に入れていれば消化不良や具合を壊しても仕方があるまい。

自分自身のものと外部からのものを見分け、感じ分けることが、今の課題かもしれぬな。

その先にあるのは、あたりまえと思えることに対する感謝であろう。それを先に身につけても、防御力はあがろう。

どちらが先でも構わぬ。人助けは、自分が自立してこそできるものである。まずは気に当てられて寝込むようなのは、鍛えなおすのがよかろう。

なおき:そうですね。なんとなく、言語的な介入はシャットアウトできるようなってきたと思っていたのですけど、非言語的な感情のようなものは、素通りで受けているようにも思います。

ちょっと鍛えるようにしてみます。自他の境界なんてATフィールドのようなものでしょうか?

ガタル:雲のような空気の塊のようなものとイメージするのもよかろう。望んでも望まなくても、境界はあいまいで融合しつつ、塊というものが存在している。

空に浮かぶ雲も、大気から目に見える雲のようになり、条件が変わればまた透明な水蒸気となろう。お前さんがたの自我やエゴというのも雲のようなものともいえよう。

なにもないところから現れて、また消えていくものである。魂というのは、その雲に乗る孫悟空のようなものである。

なおき:そうですか。とらえどころのない話の気もしますけど、心に留めておきます。ありがとうございます。

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2009-07-06

なおき:麗花さんもハイハイが上手になって、起きている間はずっと動き回わって遊ぶようになりました。

今までは不動産物件を見に行くのにずっと連れまわしていましたが、カーシート載せてばっかりになるので、気の毒に思います。これからの課題になってきました。

あとは教育のほうです。どうしたものかといつも思います。無理なくできるだけで十分というのが基本ですが、選択肢が多ければ自由とも言えますのでいいのですけど。

教育というのはひとつは能力や知識とされるものだと思いますが、結局それをどのように使うかというのは、価値観のように思います。その価値観は、宗教的なものやTVやゲーム漬けになどにならなければ、親や家族の影響が一番大きいように思います。

どうするのがよろしいでしょうか?

ベリエール:お久しぶりです。1年前にはなかったような課題ですわね。

それだけ真剣に考えなければいけないというのは、チャレンジとしていい経験になるでしょう。

複数の仮面のような人格を持ってみても、この間のガンのお友達や、お友達のヨットスクールの体験などでも、集中しなければいけないときには1つの人格となるのです。

また全身全霊で人生を、この一瞬を楽しむという場合に同じことです。余計なことに変に気を回す必要もないのです。

子供は親の背中を見て育つともいうでしょう。子育てもそうですが、自分自身の仕事や課題というものにも大切に取り組むのがいいでしょう。

一生の間で、自分が子供としている期間も、子育てをする期間もそれほど長くはないのです。特別な期間として、十分に楽しむのがよろしいでしょう。

楽しんでも楽しまなくても、するべきことは同じなのです。ただし、得られる結果は異なるでしょう。どちらが得になるかはお分かりでしょう。

選択肢を選べるときには、そのときに選べる最善のものを選ぶのがよろしいでしょう。バランスを考えることも必要でしょうが、必要のない課題を選ぶ必要はないのです。

なおき:そうですね。確かに自分でもう卒業と思うものや、しなくても必要のなさそうなものはありますから。固執しないほうがいいのでしょう。

ありがとうございます。

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honne_tatemae.jpg 2009-06-24

なおき:やはりというか、しゃべる前の子供は人の心を読むのが上手のようですね。

他の人には自分の考えはわからない、というのが一般常識ですが、練習すれば上手になるようです。

確認できない場合には、勘違いの可能性もあるので、過信はしないほうがいいとは思います。

ただ、心が読めても、話したり表情に出したりという行動の部分はちぐはぐになる可能性もあるようです。

それでちょっとインスピをもらいながら、また、図解してみました。

自分と他の人が、本音同士で話したり、建前同士で話したり、本音/建前だったりするわけです。

そこで勘違いが出たり、思っていないのに変な行動を起こしてしまうことがあります。

行動という結果になって、事実として起きたこととなり、記憶として残るわけです。

一般的には、本音や建前の部分は、コミュニケーション能力の部分だと思います。

ただ、本音以外に、自分が理解していない潜在意識部分や心の部分もあるわけで、ややこしくなるのですよね。

こうした構造は、意図的に作られているのでしょうか?

ナムル:そうでございますな。処世術のひとつともいえますでしょう。

本音の部分は、いわばエゴの部分ですので、裸のようなものでございます。

服を着ているのが、建前ともいえるでしょう。

図解のように、片方が本音で片方が建前というのも、裸と服でバランスがよくないでしょう。

それはともかく、いろんな組み合わせができることで、人生のドラマが楽しめるというわけでございます。

利用して楽しむのもよろしいでしょう。

ただ、図にも書かれたように、相手の心がわかろうがわからぬまいが、行動として起こしたものが記録されるわけでございます。

これが行動することの重要さともいえましょう。

潜在意識にも、気がつかないうちに洗脳されたり、トラウマや、他の人の価値観に感化されたりすることがあります。このちぐはぐさから、思ってもいない行動に出てしまうということになります。

もしご自分でそのような経験をお持ちであるならば、まだ未熟であると自覚されるのもよろしいでしょう。

それらがクリアになり自分の心というものから、本音と建前も通せるようになると、他の人は逆らえなくなります。

ただ、さきほどのちぐはぐさがある人は、過剰反応することもあるでしょう。誰もが真実を知りたいわけではないのです。

心と心でわかりあえば、この世の問題というのはほとんどなくなるものですが、他の人に期待するものでもないでしょう。

自分自身であれば、本音という部分をよく監視することですな。自分の本音と思える部分には、どこかおかしいと思うところはないかと常に監視をすることで、バグを見つけることができます。

それらをクリアにしていくだけですが、なかに特別なものがあるというわけでもありません。

むいても、むいても、皮ばっかという、ラッキョウのようなものです。中は空っぽかというと、その空っぽが全てという、一見矛盾しているような2重構造です。

対人関係で悩んでいたりする場合、チェックポイントは2つでございます。

相手に余計な期待をしていないか?それは甘えでございます。

相手を変えようとしてないか?それは余計なお世話でございます。

家族でも親子でもこれくらいがいいのです。

それよりも、自分自身をチェックする機会として、自らを磨くことですな。

なおき:なるほど。そうですね。ありがとうございます。

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2009-06-03

なおき:前回の続きの話になります。

上宮さんからの返信で、やっぱり利用するのはエゴでしょうと話しになりました。

その数日後、剪定のために庭木に木登りをしていて、危なかったと思えることがありました。

下降用にロープを束ねて登ったのですが、準備が適当だったのでばらけてしまいました。

そのロープが足に絡まりました。腰にもつながっているし、足にも絡まった状態になりました。

そのときに、自分が思ったのは、「あれ、こんな所に足場がある」と勘違いしたことでした。

つまり足の感覚としては、絡まっているロープのおかげで、枝の上に足があるように感じたわけです。もし、足場と勘違いして体重をかけると、ロープは腰につながっているだけなので、絡まったまま落ちるわけです。

この手の意識操作をされると、勘違いや間違った主張を正義や責任と勘違いして、他の人を傷つけ、自分も一緒に転落となるように思いました。

この間の、動物由来の本能や欲求も同じように思います。

これを防ぐためには、自分の主張が本当に妥当なものなのかを常にチェックし監視しつつ行動すべきのように思います。

逆にそれができないと、周りの環境に反応して、洗脳された状態のロボットとして反応してしまう可能性があります。感情的に騒いだり、自分が、自分がという反応もそうでしょう。

傍から見ると、すごく変な信用のならない人になってしまう可能性があります。スピリチュアル系の人にも見られますが、自分自身の直感を過信するのも、単に自分が特別な存在だと思いたいだけなのもかもしれません。本当は特別なんですけど、過信するとおかしなことになるという意味です。

直感といっても、経験によるものもあれば、論理的であり計算からくるものもあるし、ハイヤーセルフや自分の良心からくるものもあるでしょう。それか、天使か悪魔か霊や宇宙人にささやかれているのかもしれないし、単に自分のエゴの理由付けかもしれません。

結局、人間の体というのは物理的な肉体であるので肉体的な欲求があります。そこに肉体が簡単に壊れないで長持ちするように、エゴや自我というOSがインストールされているように思います。これだけであれば、人間は本来、悪であるという性悪説になると思います。

ただ、魂のようなものが人間の体を使いこなすユーザーだとすると、インターネットのように他の世界につながる手段があるように思います。それがあってこそ、魂本来の良心という方向性を持つ、性善説が成り立つように思います。

そうすると、人間という乗り物の性能や特性は、肉体だけのものだけではなくて、肉体+エゴとして考えるのがいいかもしれません。

犬のおしっこのようなマーキングのような欲求をそのまま出したら、壁に落書きを書くのと同じでしょう。歴史に名前を残すというのも、落書きとあまり変わらない気がします。それをモチベーションとして、いい方向性が与えられれば、人の役に立つことに役立てそうです。欲求からの昇華ですよね。

そんな風に思ったのですけど、どうでしょう?

ベルガ:レイヤーのように考えるのも、わかりやすいかもしれませんね。

その場合、同じレイヤーで干渉しあうということも頭に入れておくのもいいでしょう。

つまり、肉体は肉体どおしで干渉をしあい、影響を及ぼします。

エゴや自我も、同じように近い人と影響を及ぼし合います。

今のあなたにはわからないでしょうけど、魂もそうなのです。

影響を及ぼすということは、ある種のグループを作ります。同じようなものは集まりやすく、他のものには排他性を作ります。ある特定のグループに入ってしまうと、なかなか抜け出せなくなります。家族なんてそうでしょう。一生、家族ですから。

そして、特定のグループを改善しようと思えば、その中に入って徐々に改善するしかないのです。

魂グループでも、特定の方向性を持つものもあります。あなたが良心と思うものも1つの方向性です。つまり、人の皮をかぶった、犬や猫や獣というのもありえるのです。ですから、あまり過信せず期待もせず、違うものが混じっているという認識でいるぐらいがいいでしょう。

それでも、人と人として縁があって会えば、肉体レベルでも、エゴのレベルでも、魂のレベルでも影響をしあうのです。相手のことを思えば、ひとつの方向性を示すのもいいでしょう。エゴのレベルというのがあまり好きでなければ、精神のレベルといいかえても同じようなものです。

方向性というのには、目的地があります。目的地を考えずに、向かう人も実に多いのです。

自分の行く先というのものも、たまには確認をするのがよろしいでしょう。

なおき:なるほど。エゴ=精神ですか。そう思うと納得のいくところも出てきます。

ありがとうございます。

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2009-05-29

なおき:上宮さんとのやりとりで、人間の性能や特性のことと、それを利用した意識や精神操作の話が出てきました。

自己認識していることを、ちょっとまとめてみます。

動物的な本能として、マーキングがあると思います。犬があちこちにおしっこをするのと同じで、落書きなどもそうでしょう。広い意味では、自分の名前を歴史に残そういう行為にも似ていると思います。

競争心は、馬などにもあって、競馬に利用されています。並ぶと自分が前に出たくなるという本能です。子供のころから運動会などで、競争はいいものだと植えつけられている気がします。ただ、5人で競争すると、勝者は1人で、敗者が4人という、非常に効率のよくないシステムです。100m走で言えば、勝者はオリンピックのゴールドメダルで、そのほか人類全員が敗者です。そんなことなら、競争などしないほうがいいのにと思います。

能力発揮や力試し。バッファローでも子供のころから力試しをするそうです。人間もそうでしょう。スポーツなどのテクニックや技も覚えれば使いたくなるし、道具や武器や才能もあれば使う機会を心待ちにするのでしょう。逆に、あるものを使わないと無駄にしているというコンプレックスにもなるようです。

認知されたいという願望。うちのペットの鳥でも、注目を浴びると得意顔をして踊りますし、娘もキーボードを叩くと、しょっちゅう後ろを振り向いて、ほめてもらいたがります。人のためになにかをして感謝をされたいというのも、同じルートのようです。

恐怖心。これはもともとは幻想だそうです。「神との対話」からも、「必要なものは何もない」となっています。お釈迦さまのほうでも、「全ては空」となっています。それであれば、失うものもないので、恐怖心などないはずですが、非常に意識操作に便利なツールになってしまっています。

脳の機能のサブ・プログラム。決心や明確な目標を持つと、それを達成するように無意識のうちに自動的に情報収集や計算をするようです。斉藤一人さんの製品開発のお話もそうです。速読のフォトリーディングでもそうです。私もプログラムを書くときに利用しています。前もって必要な情報を入れておくと、時間がたつと自動的に最適な答えを見つけておいてくれます。

意識操作されているように思うもの。

マスメディアなどのよくないニュース。恐怖心をあおって、保険という金融製品を売るためのツールになります。保険は合法的なギャンブルですし、ギャンブルで必ず勝てるのは胴元です。

学校の成績やいろんな場所での評価システム。認知願望につながると、どうしても効率的にいい点をとる方向に向くと思います。そのような限定されたルールを利用したゲームになります。ルール外のことは評価されないことになります。子供のころに持っている霊視やチャネリング能力や前世の記憶も、この評価システムに組み込まれるにつれて消えていくように思います。

広告などによる洗脳。繰り返し見せられることによって、脳のサブ・プログラムで、自分に必要なもののように、そのうち思いはじめる傾向があります。広告産業の人は、意識操作に関わっているという自己認識があるほうがいいように思います。

だから、どうだと言われても、私もどうするのがいいのかさっぱりわからないです。

どうしたものでしょうか?

ベルガ:一度、認識できれば、操作的な情報にあったときにブロックしやすくなります。

また、理由つきで「必要ない」というラベルをつけておくことで、情報穂フィルターがしやすくなるでしょう。バイアグラ=迷惑メールといった、スパムフィルターにも似ているでしょう。

ただ、間違ったラベルを貼ってしまうことも、知らずのうちに他の人に貼られていることもあります。特に人の意見というものは、素直に全部は聞き入れないほうがいいでしょう。勘違いというのもの非常に多く存在します。話半分としてもいいですが、実のところ入ってくる情報のほとんどは必要ないものです。全てを参考程度にして、自分が感じるものを確認するのと、共通項などをみつけるデータとするのがいいでしょう。

自分自身と、他の人の反応パターンというのは違うことがあります。ただ、サンプル数が多くなれば傾向や確率としてわかります。自分自身と大衆の反応の両方を理解できるといいでしょう。

あと、書き忘れていたのかもしれませんが、宗教の影響力も大きいでしょう。盲信になると、自分自身の情報の再チェックができなくなりますので、要注意となります。

なおき:そうですね。自分の自己認識というのもあやふやですし、どうしていいものかもよくわかりませんので、課題にしておきます。

そうすると脳が自動的に解答を探しておいてくれますので(笑)

ありがとうございいます。

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2009-05-26

今年の羽田製茶の新茶も無事に完了しました。ありがとうございます。

トーストマスターズのお友達から、稲盛和夫さんの盛和塾へのお誘いをいただきました。経営者限定だそうです。

話を聞いてみると、経営論というよりも、人を人として扱うという道徳的な方針のようです。

当たり前のことが、ビジネスの世界ではされていないようです。どちらかといえば、「恋と戦争においてはあらゆる戦術が許される。」というろくでもない格言に近い気がします。

アメリカのビジネスが長続きしないのは、せっかくいいものを作って評価されても、2番目にすることが競合社をつぶすことのような気がします。つまり戦いモードになって、その風潮が社員に広まり、お客さまへの扱いに現れるようです。独占企業になったころには、あきれるほどのサービスの低下になってしまっています。

お店で商品のことを聞いても、店員さんが知らないのが当たり前です。

そんなのに慣れてしまうと、たまに日本に行くと、サービスのよさには感動します。

アメリカのモチベーションセミナーなど、参加者の大半が軍関係、セールス関係、ネットワークビジネス関係です。防衛いう名目であっても人殺しに関する仕事をするには、よっぽどのモチベーションの維持が必要なんだろうと勝手に思っていました。

セールス関係では、よくわからなかったのですが、たぶん本人が良心に基づいてはするべきでないことをしているからのように思います。

コールド・コールも、迷惑メールも、洗脳的な広告やコマーシャルもそうですし、自分が食べないような食品を作って売ること自体もおかしいでしょう。

全体での意識の進化など怪しいと思います。そうでなければ、この場を泥沼の遊園地や学校や修業の場のように考えて、昇華させて数少ない蓮の花を咲かせるぐらいでしょう。

スピリチュアル関係でも、無限の魂の考えるのであれば、5年や10年の目先のことだけでなくて、1000年や1億年と心にしたほうがいい気がします。

どうなんでしょう?

ガタル:ハハハ、混乱しておるようじゃな。

個人としては、目の前にあるものをこなし、片付けるだけである。

ビジョンを持つのはよかろう。ただ、その結果をあまりすぐには期待しないことである。

結果がすぐに見えないからこそできる学びもあると思うのがよかろう。

人類全員などというような考え方はあまり持たぬほうがよかろう。それこそ、動物園やサファリパークの生き物すべてが、人間の皮をかぶっていると思うぐらいでちょうどよい。そう思えば、少々宇宙人が混じっていても不思議ではなかろうし、犬や猫のような人がいるのも納得がいくであろう。

どう見抜くのか、観察眼を養うのもひとつの楽しみになろう。バードウォッチングのようなものである。

自分自身は誰なのか、それは自分の心を認識することである。瞑想もよかろう。

周りの環境の変化や自分の感情に、どれだけ対応することができ、過剰反応してしまうのか、それもひとつの目安である。

まずは自分自身であり、次に身の回りでよかろう。目の前の人にどう接するか、それも1つである。

お前さんのアメリカでの処世術のひとつに、誰もが同じ年齢であるように話し扱うのがいいというのがあろう。同じことは、見えぬ存在からの影響でも同じことである。

自分が望まぬものが寄ってくると思っても、自分が引き寄せている場合が多いものよ。そのときに、無視するのも、離れようとするのも、1つである。ただ、寄ってきたものも縁と考え、皆で1段登るのも一興であろう。

どう登るのか、考え方を少しばかり変えるだけである。それで憑き物は落ちよう。憑き物はなにも幽霊ばかりではなく、地獄言葉を使う友人、知人もそうである。

それも全て縁と思い、1000年先を変えるやも知れぬ、種まきと考えるのもよかろう。

お前さんはビジネスにかかわりのある人たちを、お客さまといいつつ、親戚やいとこのように接しておったであろう。それをもう少し拡張するならば、縁のある人全てを家族のように考えるのもよかろう。

縁のなきものには、無理する必要はあるまい。それは他のものの役割である。

なおき:そうですか。親戚のおじさん、おばさんやいとこのように思うのであれば、親しみはあるけれども、余計なことまでは口出ししないです。家族となると、放っていくわけにもいかないから、余計なことまで口出ししそうです。

バランスが必要なのでしょう。ありがとうございます。

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